淡い恋

 「お嬢様。先程の婿候補の一人の『ゼヒュロス』と仰る方がお嬢様に会いたいそうですが、お通ししますか?」
一瞬、聞き間違いかと思ったフローラは呆然としたが、すぐに召使いに答えを用意した。
「すぐに二階の客間へ…いえ、私の部屋へお通しして」
今日、三度目の出会いだった。

 『ゼヒュロス』この名にフローラの心当たりは一人しかいない。
心臓が早鐘を打つ。フローラにはこの感情が何かまだ分からなかったが、決して嫌なものでも、恐れるようなものでもなかった。
「お嬢様、お連れ致しました」
「あ、はい」
胸の鼓動を聞かれませんように…と、願いながら平然を装う。

「次にお会いした時にはきっとお礼を…なんて言ってたのに、お礼を用意する間もなく再会してしまいましたわね」
「ええ、ぼ…私も驚きました。まさかこちらで会えるとは思ってなくって」
青年の少し照れた笑顔に、何故か泣きたくなる程の喜びを得る。
同時に胸の響きが増して少し焦ったが、これは青年の話を聞くことですぐに問題なく収まった。
「あの…実は…」
青年はこの家に来た経緯、目的を話す。
それは決して、己の夫になりたいが為ではなかった。
「そう…だったのですね。天空の盾の為に…。分かりましたわ。難しいとは思いますが、頑張って父を説得します。リリアンの件でのお礼のこともありますし、何より我が家で眠らすよりも、あなたの手でいつか出会う勇者の為に使って頂いた方が盾の為ですものね」
あまりに早く、強く動くから、心がどこかへ行ってしまったのかしら…そう思える程心が欠けたような気がした。
「ちょっと待って下さい。別に説得をお願いしたくて来たわけではないんです」
「え?でも…あなたは盾が…」
「えっと…確かにそうなんですが…」
青年の顔がほんのり朱を帯びていた。
「リングを取りに行こうと思ってます」
「まぁ…」
「僕は今言ったように旅の最中です。しかもいつ終わるのか…平和な世を知らぬまま果てる命かもしれません。そんな僕にはリングを取りに行く資格なんてないでしょうが…」
「そんな、資格なんて!!私の父は昔から強引なんです。あなたも危いことをしないで下さい。二つのリングなんてなくたって私…」
「え?」
「あ・・・!いえ、何でもありませんわ」
思わず口に出た言葉に焦る。
「と・兎に角無茶はしないで下さい。父の戯言などで誰かが危ない目に合うなんて、神様がお許しになりませんわ」
青年の心は嬉しい。だが、それ故に何かあったらと思うと辛い。
何を言えば青年が思い直してくれるのか分からず、フローラは言葉に詰まった。
「そんなに心配して下さらなくても大丈夫ですよ。旅には慣れてるし…それに、今は神の許しよりもルドマンさんの許しの方が大事なんです。戯言なんかじゃないから尚更…ね」
そう、戯言ではない。無茶苦茶ではあっても、ルドマンは本気で娘の幸せを願っている。
青年はそれを理解していた。
「では、僕はもう旅立ちます。言いたかったことはそれだけですか…あっ」
「どうかなさいましたか?」
「えぇ、あの…、名前を聞いていいですか?」
「え?名前ですか?私の?」
「先程会った時に訊きそびれてしまったので。…あなたの口からお名前を聞かせて下さい」
「私の口から…?」
不思議に思いながらも、青年の希望に答える。
「はい。では改めて…私はルドマン家の娘、フローラと申します」
名乗った瞬間、青年の顔が眩しそうに、幸せそうに変化した。
思わずその瞳に見入り、顔が赤くなる。ただ名乗っただけで、青年のこんな表情を見れるとは思わなかった。
「あ、あの、では私も改めてお名前を訊いて宜しいですか?」
思わず口に出る。慌てて、間の抜けたことを言ってしまったような気がしたが、青年は楽しそうに『ゼヒュロスといいます』と、答えてくれた。
「ふふ、なんだか今初めて会ったみたいですわね」
「本当ですね。元はと言えば僕が名前を聞きそびれたのが原因ですが…」
「あら?それを言うなら、私が『名乗り忘れていた』のですわ。相手の名を尋ねる時には、まず自分の名を名乗るのが礼儀ですのにね」
青年は気付いてなかったようで、嗚呼、そういう考え方もあったんだ…と、本気で納得していた。
短い時間だったが、二人は笑いあい、充実した時間を得た。


 青年が去った後、フローラは彼の一言を反芻していた。
『リングを取りに行こうと思ってます』
胸が高鳴る。
この想いが「恋」かどうかは、フローラにはまだ解らない。
だが、確実にあの青年に恋するようになるだろう…このことだけは理解出来た。

今はただ、
「あの方が無事に戻って来れますように…」
それだけを祈る…。


END




あとがき


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