見えない想い

 ろくに食事もとらず、フローラは屋敷の庭園に出た。


日が沈んで一時―
この日は、彼の者が炎のリングに続き水のリングを手に入れ、サラボナに戻った日―
炎のリング・水のリングは、彼の女性と婚姻を望む証―
婚姻を約束された証―



 彼が水のリングを手に入れたと聞いた時、フローラは嬉しかった。
嬉しかったのに、何故こんなことになってしまったのだろうか。
私は、あの方が無事、リングを手に入れて戻る日を待っていたのに…。
あの方は私と結婚する為にリングを手にしたはずなのに…。
何故…そう思いながらも、答えは分かっている。

フローラは俯き、ただ座っていた。



 この庭に出てから、一体どれだけの時間が経過しただろうか。
月明かりがはっきりしだした頃、部屋に戻る気にもなれず、散歩に出る気にもなれずにいたフローラに声を掛ける者が表われた。
「今晩は」
突然掛けられた声に驚き、顔を上げてフローラは言葉に詰まる。
「窓からあなたの姿が見えてね・・・お邪魔だった?」
「ビアンカさん…。あ、いえ、大丈夫です。」
構わない、が、動揺せずにはいられない。それは、今のフローラにとって、二番目に会うのが怖い人物だったからだ。
動揺しつつも、客人を迎える為に空いた椅子を牽く。
この二人は明日の朝、同じであり、対極する立場にある。
今日初めて顔を合わせたお互い。認めることも拒絶することも難しい。
二人に共通したもの、それは一人の男性のみだった。


「少しね、聞きたいことがあったの。えっと、今日のことでね…」
「はい」
なんとはなしに、フローラの腕に力が入る。
「フローラさんが私を引き止めたの、もしかしてあいつと結婚するのが嫌だったから?」
「……!!?」
「炎のリングを手に入れようと、あいつ以外にも死の火山に行った人がいたんだって聞いたの。そう、あなたの幼馴染だって…、あなたの幼馴染もあなたとの結婚を望んでたんだって。もしかして『そう』なの?」
「それは違います!!」
フローラは叫んだ。思わず叫ぶように否定した。
己の結婚相手を選ぶ為、父が提議した冒険。
それに答えたのは、フローラとは異なる人生を歩んでいた青年だったが、嫌などと思ったことはない。
フローラは、自身の結婚相手は自身で選びたいと思っていた。
決して、父に、周りの人間に流されて今に至るのではない。
あの青年だったからこそ、フローラは全てを飲み込み、青年の旅の帰りを待っていたのだ。
「あの方に初めて会ったのは、父が私の結婚相手を選ぶ為、希望者を家に集める日でした」
今でもはっきりと覚えているあの日。
どれだけ父に『結婚相手は自分で選びたい』と言っても聞いては貰えなかった。
辛くて家でじっとしていられなかったあの日、初めて出会った。
「あの方と出会い、その清んだ目を見た時、私は『父の認める男性がこんな方なら良いのに』と、そう思いました。それが叶ったのに、嫌だなんて思うはずがありません」
力強く答える。
「私があなたを引き止めたのは」
控えめに、だけど真っ直ぐビアンカを見つめ、フローラは声を紡ぐ。
「ビアンカさんと会ったのは今日が初めてですが、あの人にとって大事な方だとすぐに分かりました」
「え?…」
「ビアンカさんにとってのあの方も同様だと…。私は分かってしまいました。だから私はあなたを引き止めたのです」
「………」
「私は間違っていますか?」
声はしっかりしているが、フローラの表情は悲しげだった。
ビアンカは困惑した表情を見せる。
「解らない…私には解らないわ。だって本当に好きなら私のことなんて関係ない!他の女のことなんか気にせずに結婚すれば良かったじゃない!」
「それでは本当に幸せにはなれません。他の女性を想う人と結婚したとして、幸せになんてなれませんわ。私自身にとって、引き止めたことは、偽りの幸せを掴むか本当の幸せを掴むか…重要な分岐点だったんです」
「だけど…結婚してずっと一緒に居れば…人間だもの、心も変化するわ」
「それまで相手の心を疑いながら生活するのですか?夫婦なのに?」
フローラの視線が痛く、ビアンカは顔を背けた。そして目を伏せ、首を振る。
「そうね。本当は分かってるわ…。ただ、頭で理解してても、感情がついていかないの。フローラさんはすごいわね…」
修道院に居たという彼女。フローラは立派なシスターだったのだろうと、ビアンカは思う。
「すごいだなんて…。ビアンカさんの言いたいこと、私も解りますわ」
「え?」
その言葉はビアンカにとって意外なものだった。
「私はあの方がビアンカさんを大事に想っていることに気付きながら、それでも明日、あの方が私を選んで下さるのではないかと…期待しているのです」
笑っているのか、泣いているのか、困っているのか、フローラは複雑な表情を浮かべていた。
「あの方は…リングを持ち、私のもとへ戻って来て下さいました。あの方がビアンカさんを大事に想っているのは確かだと思います。だけど私に向けられたあの約束、微笑みも確かです。私はそれを信じたいと…願ってしまっているのです」
理解していても感情がついていかない…それはフローラにとっても同じだった。



*****

 青年は一人の女性と結婚する為、その女性…フローラの父親が出した条件に挑んだ。
世界のどこかに存在する『炎のリング』と『水のリング』を手に入れること。
旅馴れた青年にとって、その条件は容易くはないが出来ないことでもなかった。

 炎のリングを手に入れ、水のリングを求める旅の途中、青年は懐かしい姿に出会う。
ビアンカという名のその女性は、十二年前よく遊んだ幼馴染だった。

 青年はついに水のリングをも手に入れた。
 青年はリングを抱き、フローラのもとへ戻る。
――ビアンカを連れて。

*****



「御免なさい」
そう言ったのはフローラだった。
「御免なさい。ビアンカさん。私は理解者のようなことを言っておきながら、あの方が私を選んで下さることを願っている…。御免なさい」
フローラの膝に置かれた白い手が濡れていた。
「…本当にあいつが好きなのね」
「はい」
出会ってまだ間もない。だが想いを募らせるのには充分な時間だった。
彼がリングを探しに旅立った時、フローラは心配で仕方なかった。引き留めもした。
それでも彼は「大丈夫だよ」と旅立ち、無事に戻ってきた。
確かに幼馴染のアンディが旅立った時も心配したが、彼に対する心配の比ではない。
「馬鹿ね…。好きならそんなの当たり前じゃない。そんなこと言うなら私だってそうだわ。人の恋路を邪魔してここに居るんだから」
「でもそれは…」
「一緒」
はっきり言い放つビアンカに、フローラは返す言葉をなくした。
一緒だと言い切る彼女の中に、優しさを感じる。
その優しさが、フローラに一つの誓いを作った。
「私…明日、あの方がビアンカさんを選んでも、笑って『おめでとう』といいますわ。いえ、きっと云えるのです。相手があなただからこそ」
フローラは微笑む。
ビアンカは青年とよく似合っている。青年は旅人。辛い旅も明るく乗り越えて行きそうな、生命力溢れるビアンカは伴侶として相応しいだろう。
「気が早いわねぇ」
「え、だって…」
呆れるビアンカに、慌てるフローラ。
いつしか二人は笑っていた。



*****

 青年とフローラの結婚式の話になったその時、引き留める者があった。
それは当事者であるはずのフローラだった。

フローラは気付いてしまった。
ビアンカの視線に…。
そして、青年のビアンカに対する態度と己に対する態度の違いに…。


青年の想いはどこにあるのか…。
明日の朝、それは明かされる。

*****


私は後悔しない。
あの方が私を想って下さらなくても、私はあの方の幸せを祝福出来る。
そう、ビアンカさんが素敵な方だったから。


「お休みなさい、ビアンカさん」
「ええ、お休みなさい」

二人はその場を後にし、明日を待つ―


END




あとがき


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