公女の決意

 目まぐるしく時が過ぎる――――。

 セリス率いる解放軍は既にグランベル国へと進軍していた。
シアルフィ、エッダ、ドズルを制圧し、目的のバーハラまではフリージを残すのみである。
フリージの血を引きながらも他国で育ったティニーは、この日初めて母の故郷に足を踏み入れようとしていた。

「ティニー、準備は出来た?」
そう声を掛けるのは彼女の恋人、リーフである。
「はい。リーフ様も準備はお済みですか?」
「ああ。僕は大丈夫。だからティニーを迎えに来たんだ」
リーフが優しく微笑む。
いつもリーフは優しい。だが今日は一段と優しく感じた。
『きっと今日フリージに向かうから・・・』
リーフの気遣いが嬉しく、ティニーはそれに甘えるように恋人に抱きついた。

 フリージは母の故郷。だが同時に母の仇が住む場所でもある。
母を詰り続け、蔑み続け、甚振り続け、死に追いやった女。
憎くて憎くて、悲しみよりも怒りの気持ちが凌駕する。
昏い感情が渦巻く。
・・・だが・・・
目の前にはそんな負の感情ごと受け入れてくれる彼がいた。

 ティニーの口からくすくすと笑い声が洩れた。
「どうしたの?」
急に笑いだすので、思わず焦る。
「今、初めてリーフ様に抱きしめられた時のことを思い出していました」
リーフはそれがいつのことだったか直ぐに思い出した。
そうだ。あれは両親の仇のいる地に辿り着いたばかりの頃だった。
軍議の後にティニーが訪ねてきてくれたのだ。
「あの時、リーフ様に会いに行っても上手な言葉をお掛けすることが出来なくて・・・ 立ち尽くしていると抱きしめられて驚きました。 そして、私が想像する以上にリーフ様は色々なものを抱えていたのだとわかりました」
両親を殺された憎しみ。国を追いやられた恨み。勝たなければならない重圧。負けるかもしれない不安。
そして、レンスターの神器『ゲイボルグ』を持った女性…即ちリーフの姉がトラキアの軍隊にいた事実。微かな迷い。
そんな時にティニーが心配して会いに来てくれたことが、リーフには何よりも嬉しかった。
「あの時、一番気持ちが入り混じって苦しくもあった時、ティニーがいてくれて私はすごく嬉しかったよ」
「私も、今リーフ様が来て下さり、お顔を見ることが出来てとても嬉しいです」
戦争中ではあるが、母が亡くなって以来、今が一番ティニーにとって幸せな時期だった。
兄との再会、信頼しあえる仲間たち。なにより支え合える恋人の存在。
二人は軽いキスを交わすと戦場に向かう覚悟を決めた。

この幸せもこの戦争が終わるまでの間・・・。
ティニーが一人、そんな予感を胸に抱いたまま――――。


 二日後、フリージ城は解放軍により落城した。


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 貧富の差が激しく、覇気のない国・・・。
ティニーがこの国についてまず感じたのはそれだった。
「この国の法律知ってる?」
そう言ってティニーの従姉妹であるリンダが教えてくれた。
ここでは法を犯すと、他国に比べて死に直結する罰が多いらしい。
死に至らずとも些細なことで拷問。そして税率も高く、この国を出ようにも厳しい審査が必要だった。
「あまりフリージに来ることはなかったけど・・・来る度に嫌な光景を見たわ」
金さえ渡せば言うことを聞く役人。肥えていく豪商人。疲弊していく平民。
リンダが悲しそうな目をして俯く。
ここはフリージ当主のブルーム叔父ではなく、その妻のヒルダが実質統治していたようだ。
あの拷問好きなヒルダが統治するのであれば、この現状にも納得がいく。
町並みを見渡す。
戦争があり、城が落とされたというのに反応が薄い町。
これがフリージの民の住むところ。
これからを思うと気が滅入った。


 ふと遠くを見ると、小さな人だかりが出来ていることに気付いた。
二人が近づいて見てみると、どうやら解放軍の騎士とこの国の人間が言い争っているようだった。
「これは何事ですか?」
「あ、ティニー様、リンダ様。今、兵士たちの宿を借りる交渉をしているところでして・・・」
主には城内やテントで寝泊りするが、大勢が泊まれるような建物があればそこも借りるようにしている。
そういえばドズルでも一部の市民に受け入れられず難儀していたと聞いた。
他国では寧ろ歓迎されていたものだが、ドズル公国とフリージ公国はグランベルの公国の中でも優遇されていた国なので、仕方ないのかもしれない。
「ふんっ!何が解放軍だ。貴様らはただの侵略軍じゃないか。とっとと目の前から消え失せろ!!」
吐き捨てるように言ったその男の身形は良いものだった。
ヒルダの統治の恩恵に預かっていたのだろう。
苦い感情を抑えつつ、「私たちは・・・」とティニーが言いかけた時、男の表情が驚きのものに変わった。
「その顔はティルテュ公女?ティルテュ公女の娘か!ということは、そうか!リンダ・・・こっちはリンダ公女だ!!この裏切り者ども!!!」
「な!!!貴様!!」
騎士が剣を抜く。男の首筋に剣を突きつけた。
「世界中の人間が悲鳴をあげている今、その元凶を正すために私たちはここまで来たのだ。私利私欲を肥やして己のことしか考えないお前に、リンダ様たちが裏切り者扱いされる筋合いはない!!」
「くっ何が・・・」
「あなたは他国で子供狩りが行われていることを知らないのですか?グランベルの圧制に苦しむ人が多くいるということも、あなたは何も知らないのですか?この国だけを見ても民に活気がないのに、あなたはそれを何とも思わないのですか??!!!」
「ティニーの言うとおりです。私たちがフリージを裏切ったのではありません。フリージが民を裏切ったのです」
裏切り者・・・その言葉はティニーとその母が言われ続けていた言葉である。
二人の少女はこのまま魔道書を開きたい衝動に駆られながら、なんとかそれを抑えていた。
「トリスタンさん、剣を収めてください。ここは引きましょう。解放軍の私たちが民を力で押さえつけるわけにはいきませんから」
トリスタンと呼ばれた騎士が剣を収めると、男は逃げるようにその場を去っていった。
周りに群がっていた市民に視線を移すと、彼らは困惑した表情であからさまに目を逸らした。

「私達、これからこの国を立て直していかなければならないのね」
フリージこそが己の幸せを奪ったものなのに・・・それでもティニーはこの国を見捨てるわけにはいかず、溜息をついた。
先程、市民の中から密かに聞こえた言葉がティニーの胸に突き刺さる。

『この国の公女っていうなら、まず公女として俺らを守って欲しかったよ』



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「リーフ様お話って?」
慌ただしい昼間が過ぎた深夜、ようやく今日の責務から解放されたティニーは恋人との時間を得ていた。
月明かりが照らす中、ゆっくりと並んで歩く。
リーフは深呼吸をして立ち止まり、ティニーを正面から見つめた。
「ティニーが仇を討てたら言おうと思っていたんだ・・・。レンスター王妃に、私の妻になってほしい。この国が落ち着いたら・・・ね」
ティニーはリーフの言葉に驚き目を見開いた。
「リーフ様、それは・・・」
「ティニーのことは一番よく分かってるつもりだ。だから待つよ。この国が落ち着いたらでいい。私の傍に帰ってきてくれないか?私にはティニーが必要なんだ」
「気付いていたのですか?」
ティニーは密かに、この戦いが終わった時リーフに別れを告げようとしていた。
いや、正しくは今日、そうしなければならないと確信を持ってしまった。
「気付いてたというか・・・ティニーならそうするだろうなって思ってた」
「わ・・・」
言葉が・・・うまく・・・出ない。言わなくてはならないと、必死に声を出す。
「私は・・・リーフ様を愛しています。だから本当はずっと一緒にいたい。・・・だけど・・・私はこの国の人間で・・・この国を見捨てるわけにはいかなくて・・・だって・・・母様が反逆者と言われていたのに・・・私が見捨てたら・・・」
これ以上は声にならなかった。
裏切り者と呼ばれ、虐げられていた母の姿が目に浮かぶ。
『ティニーだけは私が守るからね』そう言って、私が叩かれていると身を呈して庇ってくれた母。
母の為に、自分に出来ることをしたいと思った。
この戦いに勝利すれば母が反逆者と呼ばれることはなくなってゆくだろうが、フリージを見捨てた卑怯者、裏切り者と言う人は少なからずいるだろう。
ティニーにはそれが許せなかった。母が何か間違いを犯したわけではなかったのだと、己がこの国の建て直しに身をもって協力することで国民に伝えようと思った。
「解ってる。だから待つよ。ティニーがティルテュ様の汚名を晴らせるまで・・・待っているから」
リーフは、今にも崩れそうになるティニーの細い肩を強く支え続けた。



END




あとがき


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