訓練場Q&A

ふと、気付いた。後ろから忍び寄ってくる何かに。
気配を必死に隠そうとしているが隠しきれておらず、何と言っても後ろに光源があるのに気がおよんでいないのか影がこちらまで伸びてきている。
サムトーは座して自分の剣の手入れ等をしていたのだが、その剣の具合を確かめるフリをしてつい先ほど自ら磨き上げた刀身に後ろを移して盗み見る。見るまでも無かったが一応だ。
やはり、想像していた人物だった。この3日間、この時間に、この場所にいると必ず現れて襲いかかって来る。
そして決まって同じ行動にでるのだ。まず、

五歩ほど後ろから一足飛びに近づいてきてナイフを振りかぶる。
――予想通りに動いたので思わず微笑んだ。
次にそのナイフをこちらの背めがけて横に凪ぎにかかる。
――これも予想通りだったので、軽く前方によけた。
勢いが良かった所為か、相手は体勢を崩して――
――これは予想外。

サムトーは座ったまま腰だけ曲げて前方に避けたので、相手が倒れてくる範囲外から逃げる事は出来なかった。相手が悲鳴を挙げながら背中に倒れてきたものだから、それに押されて頭を強か自らの膝に打ち付けてうめく。しばらく頭の衝撃に動きを止めたがしかし、下敷きになりながらもサムトーは相手が取り落としたナイフを器用に足で遠くに蹴ると、相手を睨みあげた。
「フィーナ、いいかげんにしろよ」
サムトーを襲った相手はフィーナという小柄な少女だった。その少女は背中の上で、
「今回は成功するはずだったんだけどな〜」
などと先ほどの物騒な行動とはうって変わってのん気な口調で言ってくる。
「3日連続で同じ行動を仕掛けてきて成功も何もないっての。…それより上からどいてくれよ」
「軽いから良いじゃないのよ」
背中の上の少女は、やはりのん気な口調で言いながら、サムトーの背に強めに両手を付いてその勢いで立ち上がった。無論サムトーは再び前に押さえつけられる形になり、再びうめく事になる。
「お前、絶対ワザとだろ。そんっなに俺が憎いのか」
「憎くはないけど、素直に髪を切ってくれないから」
身を起こしたサムトーは身体を捻って、後ろで立っているフィーナを見た。小柄で華奢な手足、少々きつめの目をしているが整った顔立ちに、薄紅のフワフワした髪の毛を頭の高いところで結っていてそれが似合っている。一見するととてもナイフを持って飛び掛ってくるようには見えない。
実際この少女は戦いではなく踊りを生業としているので普通はナイフなどもって飛び掛りはしないはずなのだが、どういう訳かここ数日、サムトーは狙われている。それは命。ではなく、サムトーの腰までとはいわないがそこそこに長い髪の毛だった。
理由は何となく解っていた。
フィーナが懸想していると思われる傭兵ナバール。彼の長い髪の毛という最大の特徴を利用し、サムトーが自らのそこそこ長い髪の毛でナバールの名を騙って傭兵の仕事をしていた事が気に食わないのだろう。髪さえ切れば名も騙りづらくなる。
サムトーは大きく息を吐くとフィーナと向き合う形に座ったまま位置を変えた。また背中を狙われると適わない。
「髪は切らない、切らせない。以上、話は終わりだ。諦めろ。そりゃあ、ナバールさんの名まえを騙るのが気に食わないのは解るけどさ、こちらも生活がかかってるんだよ」
「別に気に食わなくは無いわよ」
「じゃあどうして」
フィーナは何か言いたげにこちらを見たが、やおら立ち上がると、
「教えてあげない」
とだけ言い残してひらひらと手を振って「又明日みてなさいよ」と部屋から出て行ってしまった。
そんなフィーナの後姿を見送って、サムトーは先ほど彼女が取り落としたナイフを取りに立ち上がる。
「又明日か」
どうせ、また今日と同じ行動に出るのだろう。いや、ナイフを忘れているからどうするんだろうな。
明日は、理由を聞いてやろう。
手にとったナイフを弄びながらサムトーは、自然と口の端を上げていた。

翌日。サムトーは昨日と同じ場所に向かうところで砦の広場に人だかりが出来ているのに気がついた。観衆の手拍子に吸い寄せられるように近づいて人だかりの中心を見ると、予想はしていたがフィーナが舞っている。しなやかな四肢を伸ばし、それに結わえられた七色の薄絹がまるで自ら自分の意思を持っているかのように彼女と踊る。音楽は無かった。皆の手拍子だけでも人を魅了する舞だった。
サムトーはそっとその人だかりから抜けると人々の歓声を背に、目的の場所へと真っ直ぐ向かう。振り向きはしなかった。

砦の死角にあるとしか思えないいつも人気のない訓練場で一人、サムトーは仰向けになって天井を仰いだ。手にはすっかり手入れし尽された剣があり、窓から差し込む西日に照らされて燃えるように輝いている。それが眩しくて目を閉じるたが眠気も襲っては来ず、とりあえずひんやりとした床からのかすかな音に耳をそばだてる。まだ彼女はあそこで踊っているのだろうか?
サムトーはそう考えて苦笑した。始めは迷惑千万だったフィーナをいつの間にか心待ちにしていた自分自身にだ。だからこそ毎日、同じ場所で、襲われやすい体勢でいたのだ。まあ、今日は来ないだろうが。
踊り疲れた彼女はきっとホンモノ≠フ所へ行くに決まっている。こんなニセモノの所になぞ来ている場合ではない。
止めだ止めだ。こんな無益な事をしているよりオグマさんに稽古をつけてもらいに行ってこよう。
そう思って瞼を開こうとした時だった。瞼裏の光の加減が変わり、
「今日は隙だらけね。サムトー。髪取るわよ」
頭の上から声がした。
パチリと目をあけるとフィーナが覗き込んできている。彼女はサムトーの長い髪の毛を束で掴んでこちらに見えるように眼前で振った。
「いててててててッ。髪引っ張るなよ」
サムトーの髪を掴んでいたフィーナの腕をとると、彼女は案外あっさりと手を離す。
「絶好のチャンスだったのに…ナイフを昨日ここに忘れていったんだわ」
「なんか、助かったみたいだけど…完全に今のは俺の負けだ。油断したよ」
サムトーは座りなおして言った。フィーナはというと膝を抱えて床に視線を落としている。
「…思いがけないところで踊りをせがまれちゃって遅くなっちゃったんだけど。もしかして、」
フィーナは一旦言葉を切った。
「もしかして、私が来るの、待っててくれてたりして?」

――待ってた。待ってない。偶然だ。寝てただけだ。待ち遠しかった。来てくれて安心した。誰が待ってたって?
色々な台詞が浮かんで消えてったが、サムトーはそのどれも口にはしなかった。代わりに、
「髪の毛を狙う理由を教えてくれたら、俺の答えも教えていいけど」
とだけ言った。
「うーん…。どうしようかしら。怒らないなら教えてあげてもいいわ」
「怒る、怒らないは聞いてから考えるよ」
「ちょっと、それズルイわよ」
「じゃあ、一応怒らないという事で」
フィーナはまだ納得のいかない顔をしていたが、なんとか言う気になったようだった。一回しか言わないからねと前置きして、彼女は緊張した面持ちで唾を飲み込んだ。
「私の、サムトーに対する気持ちが、本物かどうか、確かめたかったの」
「は?」
いやにはっきりと言ったものだからサムトーは我耳を疑った。気持ち?
だが、そんな彼の様子も気に解さず、フィーナは続けた。
「正直、最初はサムトーの事、ナバールの偽者くらいにしか思ってなかったんだけど…いつの間にか本物より気になって、ね。ほら!後姿は思いっきり似てるじゃない。あ、ナバールだ。と思って近づいたらサムトーだったりするし。この前も、助けてくれたの実はサムトーでしょ」
この前と言われて一瞬考えたが、そういえば一度、フィーナが街でいかにもガラの悪そうな奴に絡まれていたのを見かねて助けた事がある。その時は…
「『ナバール助けて!』ってしきりに言うから間違いを正すのもめんどくさいしナバールのフリして助けたんだったっけな」
「実は気付いてたの。あいつら相手に苦戦してるし、これはおかしいなって。で、顔を見た時点で一発よ…後々になって言い直すの恥ずかしくて」
「う…まあいいや。で、それと俺の髪とどういう関係が」
「だって似ているとはいえ、寡黙で秀麗、剣の達人より、常人より少しばかり強いのは認めてあげるけど剣の腕はまだまだのペーペーで顔は十人並みのサムトーの方が好きってのはどういう事かしらと思って…だから私ってば…ってサムトー!?床に崩れてないで続きを聞いてよね」
「解っちゃいるけど…落ち込むなあ。とにかく続けて…」
フィーナは頬を上気させて続けた。
「だから、私ってば長い髪の人が好みなのかと思って、サムトーが髪を切ってもトキメクか実験を」
「ときめく……そんな事に俺の大事な商売道具をどうにかしようとしてたのかよ」
サムトーはさらに脱力感を覚えながら肩を落とした。素直に喜んでいいものかどうか複雑な気分だ。
「私は真剣だったのよ」
「こうしたら簡単だったんじゃないか」
サムトーは自分の髪の毛を後ろで束ねた。フィーナから見れば、髪が短いように見えるだろう。
「あら本当」
その言葉を受けて、がっくりうな垂れたサムトーをフィーナはしばらく見つめてから、安堵したように言った。
「…成功だわ」
「実験?」
「ええ実験。やっぱり好きよ」
フィーナは嬉しげにそしてどこか恥ずかしげにサムトーに笑って見せた。その顔がとてもかわいいと思う。
「じゃあ、今度はサムトーの番ね」
今度はサムトーは唾を飲み込む番だった。
窓から差し込む燃えるような光を背に、サムトーは答えを言う。こんな瞬間は今までの人生でなかったことだから思わず声が小さくなったが伝わっただろうか?逆光でこちらの表情も窺えなかったのなら、もう一度こっぱずかしい台詞を言わねばならない。しかしそれは杞憂だった。
フィーナが飛びつくようにこちらの胸に飛び込んできたからだ。



END


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