ガラスの向こう

 ダーナでセリスの解放軍に参加して、大分時が経ったのだが、レイリアにはどうしてもまだ理解できない人物がいた。

ドズルの第二公子、ヨハン。彼との初対面からして、レイリアにとっては謎だった。


「おぉ、ラクチェ!私の花よ!星よ!太陽よ!!君の瞳に留まれるのなら、このヨハン、総てを捨てても構わない!」
「黙れ。」
少女にただ、一言の元に一掃されるヨハン。
あからさまに嫌がられているにも関わらずにそんな光景を、三日と見ない日はなかった。
 レイリアは、そんなヨハンに苛立ちを感じていた。
公子ともあろうものがこのように軟派でいいのだろうか?
そんな風に思ってしまう。
それに、人から聞いたことがある。自分の、実の父と弟を手に掛けたのだと。
話をする機会もなかったし、必要もなかったから本人に確かめたことはない。
だから、それだけで判断するのは失礼だと、レイリアには解っている。それでも一枚、色のついたガラスから見てしまう。
「山間の村が、盗賊に襲われているらしい。スカサハ、ヨハン。鎮圧に向かってくれ。」
セリスの指示が飛び、二人は動き出す。
「レイリアも、付いて行って。こちらから、援軍は出せないから。手数が足りないようなら、二人を支援してやってくれ。」
「はい。」
すぐに二人と連れ立って出発する。しばらくすると、村が見えてきた。
「レイリアさんは、少し離れてて。俺が攻撃してくるから、ヨハンは後に続いてくれ。」
スカサハは、走りながらそう伝えると、一気に村へと駆け込んで行く。
「この辺りで待っているといい。私もスカサハに協力してくる。」
ヨハンはそう声を掛けて馬を走らせる。
レイリアは、その場で二人の帰りを待った。しばらくすると、喧騒が止み代わりに歓喜の声が沸き上がる。
「終わったみたい。行ってみようかな。」
歩き出すとすぐに村人たちの笑顔が目に入ってきた。
その中心に、ヨハンたちの姿を見つけた。レイリアを見つけたヨハンは一瞬だけ笑顔を見せ、すぐにその笑顔が消える。
「レイリア!」
その声に、一瞬止まったレイリアを、無遠慮な腕が捕まえる。
「こいつも、お前たちの仲間だな?!っくそ俺の仲間をみんな殺しちまいやがって!!」
どうやら、討伐した盗賊の一人らしい。喚き散らしながら、持っている剣を、レイリアの首に突き付けている。
「そんなことをしてもお前の立場が悪くなるだけだぞ!」
スカサハのその言葉に男はさらに言葉を重ねる。
「黙れ!俺たちの事情も知らずに…何で弟が殺されなくちゃならないんだ?!」
「どんな事情があろうと、罪は罪だ。」
ヨハンの冷静な声が、男をさらに熱くさせ、もう周りが見えていない。
だから、スカサハが人込みの中に入ったことにも気付かなかった。
「うるさいっ!この女がどうなってもいいってのか!」
「それは困る。だが、もう終わりだ。」
その言葉と同時に、男が剣を落とす。
後ろには人込みの中、回り込んだスカサハがいた。
「レイリアさん、大丈夫?」
スカサハが、解放されたレイリアに話しかける。盗賊は、弟であろう死体の傍で、泣き崩れている。
「お前らは、俺の弟を殺した…」
そう呟く男の隣で、ヨハンはいつもと変わらない顔をしている。レイリアは、その顔に嫌悪感を抱いた。


 陣に戻る途中、ヨハンからレイリアに話し掛けてきた。
「今日、君はずっと私を睨んでいたね。何かお気に召さないことでもあったかな?」
さっき、あんなことがあったばかりなのに、ヨハンはにこりとほほ笑んでみせる。
「…一つ聞いてもいいかしら?」
「何なりと。」
「弟が死んだ時、貴方は何も感じなかったの? さっきの盗賊、事の正否は別として、肉親の死を悼む感情は当たり前のものだった。」
「レ、レイリアさん!」
傍にいたスカサハが、止めようとするのを変わらず笑顔で抑える。
「いいんだスカサハ。…君は、私が自ら父と弟を手に掛けたことを知ってるね?」
「ええ。」
「父は許しがたい罪を犯した。その裁きは受けねばならない。 ならば同じドズルの血をひく者として、引導を渡してやるのが努め。身内の尻拭いに、仲間の手を汚す必要はない。」
はっきりと、ヨハンはそう言った。いつの間にか、笑顔が消えている。
「弟は?ヨハルヴァ公子は、子供狩りにも反対していたと聞いているわ。」
「アイツは…どうしても、説得には応じなかった。おそらくは、親父に義理立てたのだろう。セリスの前を阻んだので、殺した。」
「何故?他の人ではなくて、貴方自身が?」
「セリス軍が、何の為に戦っているかは知っているだろう。全ての憎しみを無くす。私はその考えに共感した。 あんな出来の悪い弟でも、私にとったら、唯一の弟でね。 それが、どんな理由であろうと誰であろうと、殺した人間を憎まずにはいられないと思った。だから自ら、殺すことで誰も怨まないようにしたんだ。」
ヨハンはそう言うと、ほほ笑む。いつもの笑顔とは違う、悲しいほほ笑み。
「だけど、信じて貰えないかもしれないが、私も、あの男と同様に悲しい。 だけど、この話は内緒だよ。セリスはまだ私に負い目を感じているようだから。」
レイリアは、自分の前にあった一枚のガラスが、どれだけ濃い色をしていたのかに気付いた。
謝罪の言葉を掛けようとするレイリアを制するように、ヨハンは声を上げる。
「さて、私は一足先に帰ってセリスに報告をしてくるよ。」
そう言ってヨハンは馬を走らせる。
「私、ヨハンのこと誤解していたみたい。」
「仕方がないよ。あいつも、そういう風に見られることは覚悟してたんだから。 でもさ、レイリアさんみたいにちゃんと話を聞けば理解してくれる人がいるっていうのは、ヨハンにとっては救いなんじゃないかな?」
レイリアの呟きに、スカサハはそう答える。ガラスが一枚、綺麗に割れた。
「おおラクチェ!怪我はないかい?戦場に咲く大輪のバラよ!君のことが心配で、私の胸は張り裂けそうだったよ!」
「いっそ止まれ。」
レイリアとスカサハの二人が陣に戻ると、ラクチェに付き纏うヨハンの姿があった。
「でも私、どうしても彼のあの言動だけは理解できないわ。」
「や。それは、俺も解らない。」
二人が溜息をつくと同時に、ラクチェは緑色に光ったのだった。


END


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